カップラーメンが大好きだったMの発した、忘れられない言葉。
カップラーメンを食することが多くなってきた今日この頃。いや、カップラーメン好きだからいいんですけどね。
しかしカップラーメンってやつは意外とカロリー多いし健康にもあまり良くないので、食べないに越したことはない部類の食料かと思われます。
私もなるべく長生きしたいので、出来るだけ自炊を心がけてはいるのですが、先日から私の中の大蔵省がデモクラシーを起こしやがりまして、要は家計が火の車ってことですが、そんなわけで自炊に必要な材料を購入することが出来なくなってしまいました……。
じゃあ今はどうしているのかというと、少し前にスーパーで大安売りしてたのを大量に買っておいたカップラーメンが台所に小山を作っていまして、今まさにその小山に命を預けている状態という崖っぷち状態の私なのです。なんとなく人生も崖っぷちです。
ところで人間誰しも、何かを見たりしたりするときについ連想してしまうような、そんな思い出の一つや二つあると思います。
こうして来る日も来る日もカップラーメンすすっていると、私の脳髄が刺激され、あの記憶がよみがえります。
あの記憶――それはある人物の記憶であり、また出来事の記憶でもあり、なにより言葉の記憶でもあります。
彼とカップラーメンと私がいたあの場所で、彼のあの言葉はあまりにも無造作に放たれ、それだけにたやすく私の心に突き刺さってしまったのでした。
私のかつての職場の同僚に、Mという男がいました。MといってもSMのMではないですよ。イニシャルです。
Mは職場でのお昼時間、いつも決まってカップラーメンを食べていました。お昼いつもカップラーメンだねと私が話しかけると、Mは得意げに、そして少しだけ恥ずかしそうにこう言いました。
「夜もカップラーメンだよ」
まさに一人暮らしのオスだけに許される、衝撃の食生活です。しかも彼、別に生活が貧窮しているからというわけではなく、純粋に「カップラーメンが好きだから」食べているという、とんでもない奴なのです。自分の体のことなんて、これっぽっちも考えていません。そういう意味では確かに究極のM的行為を……ゴホゴホ(咳)。ふう、危なくまた検閲に引っかかっちゃうところでした。自主規制自主規制。
とにかく昼も夜もカップラーメンという彼は、当然のように朝もカップラーメンを食っているということなので、もはや彼の体はカップラーメンで出来ている状態かと思われます。正直私びびりました。まさか昼食時の何気ない一言が、そんな危険なサプライズを呼び起こすとは思ってもいなかったのです。「帰りたい」それは私の中でとても自然に生まれた感情でした。もう仕事やめてお家に帰りたいよう……。そう強く思いなながらも、けなげな私はそのことをMに悟られまいと、冷静に会話を続ける努力をしたのです。
「と、とととととてもカップラーメンが好きなんですねん」
なぜか敬語です。距離を置こうと思ってのことなのか――いや、この時、あるいは私はMに対して、一種尊敬の念にも似た思いさえ抱いていたのかもしれませんでした。
「うん」
Mは頷きました。そしてMは左手にカップラーメン、右手に割り箸を持ったまま、視線をすっとカップラーメンに落とし、笑みを浮かべてこう言ったのです。
「生まれ変わったら、カップラーメンになりたい」
そ、そこまで好きですか……?!
それ以来私は、カップラーメンが好きと、声を大にして言うことが出来なくなりました。私程度の気持ちでカップラーメンへの愛を語ってしまうのは、Mに対して少し恥ずかしい気がするのです。
――生まれ変わったら、カップラーメンになりたい。
……いや、やはり私は、どう考えてもカップラーメンにはなれません。

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